ドキュメンタリー映画 岡本太郎の沖縄

岡本太郎の沖縄

©2018 岡本太郎の沖縄製作委員会

2018/日本/121分/DCP/配給:シンプルモンク
監督・製作:葛山喜久
語り:井浦新
製作総指揮:平野暁臣
企画:杞憂ティダ
製作:大田直也
プロデューサー:山里孫存・新里一樹

公式ホームページ

舞台挨拶&プレゼント
初日7/27(土)上映後、葛山喜久監督の舞台挨拶がございます!
*先着100名様に『岡本太郎の沖縄』オリジナルパンフレットを差し上げます!

それは私にとって、一つの恋のようなものだった
もう一度、太郎と沖縄を彷徨う旅に出る

日本を代表する芸術家・岡本太郎(1911 -1996)。 彼は、1959年と1966年に沖縄に旅に出た。きっかけは、日本人としてのアイデンティティを探し求めることを目的に、日本中を旅したことだった。彼の究めたかったものは、日本人とはなにか?自分自身とはなにかの答えを求めることだった。その旅のいちばん最後にたどりついたのが、沖縄であった。 岡本太郎は、「沖縄とは、私にとって一つの恋のようなものだった」というほど、全身、全存在をこの対象にぶつけた。そして、ある結論を導き出す。
岡本太郎は、「沖縄の中にこそ、失われた日本がある」「沖縄ではじめて、私は自分自身を再発見した」とも言った。自ら沖縄へ溶け込み、そして自分自身と出逢ったのだ。約60年前に、彼が捉えた素顔のままの沖縄。そこには、痛切なる生命のやさしさがあったという。
岡本太郎の沖縄は、今の私たちに何を投げかけ、今の私たちとどうつながるのか?あるいは、つながらないのか?それを確かめに行くドキュメンタリー映画である。

岡本太郎

芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、「アブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会」に参加するなど30年代のパリで前衛芸術運動に参画。
パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。
50年代後半には日本各地を取材し、数多くの写真と論考を残した。70年大阪万博のテーマプロデューサーに就任。太陽の塔を制作し、国民的存在になる。96年に没した後も、若い世代に大きな影響を与え続けている。

岡本太郎の沖縄 岡本太郎の沖縄 岡本太郎の沖縄

上映日時

7/27(土)~8/2(金) 8/3(土)~8/9(金)
11:25~13:30 17:20~19:20

料金

一般 大学・専門・シニア 高校以下
通常 ¥1800 ¥1200 ¥800
会員 ¥1500 ¥1200 ¥800